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おおいた市民総合法律事務所の歩み
   5.クレジット・サラ金問題への関わり
 
私が市民総合法律事務所を設立した、ちょうどその頃から多重債務者が激増しはじめ、第二次パニックが始まりました。 全国の自己破産申立件数が、毎年2倍、2倍と増えていく状況で、大分は全国でトップ3に入るほど自己破産件数が多い県でした。
事務所で扱う自己破産申立件数も急激に増えましたが、単にこの問題を個別の事件処理として扱っているだけで良いのかどうか、疑問に思うようになりました。 1992年の秋に岡山で開催された全国クレジット・サラ金被害者交流集会に参加した際、全国各地にクレサラ被害者の会が組織され、被害者の立ち直りの援助と新たな被害者の救済活動が行われていることを知り、 このような活動に大分でも取り組まなければならないと考えるようになりました。それで、当時私が自己破産事件を代理していた何人かの被害者に呼びかけたところ、 これに応えて、クレサラ被害者の会「まなびの会」を作ってくれました。また、1994年冬には、大分県内の司法書士が「まなびの会」を支援してくれることになり、木村正史司法書士が「まなびの会」の代表となられました。 こうして、大分に被害者運動を形成することができ、私も次第にクレサラ問題に真剣に取り組むようになりました。
宮崎で行われたクレサラ被害者九州ブロック交流集会(93年4月) 別府ビーコンプラザで行われた全国クレサラ被害者交流会で基調報告(95年8月)
宮崎で行われたクレサラ被害者
九州ブロック交流集会(93年4月)
  別府ビーコンプラザで行われた全国クレサラ
  被害者交流集会で基調報告(95年8月)
98年に行われたクレサラ被害者撲滅全国キャラバン 宇都宮健児弁護士と 被連協事務局長本田良男さんと宇都宮健児と一緒に大分地裁前で
98年に行われたクレサラ被害者撲滅
全国キャラバン 宇都宮健児弁護士と
  被連協事務局長本田良男さんと
  宇都宮健児と一緒に大分地裁前で
裁判終了後の報告集会
裁判終了後の報告集会
日弁連消費者問題対策委員会の消費者信用部会に所属して、全国のクレサラ問題に取り組む弁護士とも一緒に活動するようになりました。
1995年9月には別府ビーコンプラザで第15回全国クレジット・サラ金被害者交流集会が開催され、私は事務局長として全体を取りまとめる役目をさせていただきました。 事務処理は大変でしたが、大きな集会をやり遂げることができたことは自信につながりました。これを機に全国クレジット・サラ金問題対策協議会(クレサラ対協)の幹事会にも毎回出席するようになりました。 この幹事会で議論される内容(特に宇都宮健児弁護士や今瞭美弁護士の議論には、いつも刺激を受けます。)は、クレサラ問題の最先端の事件処理方法であり、これを日常の実務の中で活かしていくことで、 被害者の救済の実を挙げることができ、私自身としては専門分野を確立することができました。
ただ、私が自己破産や任意整理事件の処理において、原則通りの事件処理方針を貫いたことから、 大分県の貸金業者との間では常に軋轢が生じ、いくつかの業者から反感を持たれ、後に大分県貸金業協会から、「まなびの会」と結びつけて私を「二重事務所」、「非弁提携」として懲戒申立をされることになってしまいました。 これについては、現在不当な懲戒申立であるとして、大分地裁に損害賠償請求訴訟を提起しており、近いうちに大分県貸金業協会の行為の違法性が明らかにされると思います。 この裁判には全国の220名もの弁護士が代理人となっていただいており、毎回の裁判には木村達也弁護士と宇都宮健児弁護士が必ず出席してくださっています。 また、全国クレサラ被害者連絡協議会の支援を受け、全国の被害者の会から多数の傍聴支援をいだいております。クレサラ被害者の会の役割と弁護士による支援の必要性を裁判所で認めさせるために最後まで頑張りたいと思います。
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所