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おおいた法曹界見聞録(弁護士河野聡の意見)
   「裁判所に跋扈する野蛮なる習慣」
 
「○○先生、この和解の条件はこういうことでよろしいですか」 「××先生の言われるとおりで結構です」
 
裁判所の和解室前での弁護士通しの会話である。聞いていて本当にイライラしてしまう。依頼者が横で聞いていてどう感じるか、考えたことがあるのだろうか。
裁判所に跋扈する野蛮なる習慣
しかも、ほとんどの弁護士は事務所の中でも事務員に自分の事を「先生」と呼ばせている。中には、私が電話をかけた時に、「うちの先生は今おりません」などと答える事務員もいる(これは事務員に対する教育がなっていないだけかもしれないが)。
 
依頼者としてみれば、「コイツらは自分達のことを『先生』だと思っているんだろうか」と、内心バカにしているに違いない。
 
それでも弁護士同士では、お互いに「先生」「先生」と呼び合う習慣が染みついており、これを破ろうもんなら、「アイツは礼儀知らずだ」ということになる。だから私も心ならずも年配の弁護士に対しては「先生」を付ける。しかし、依頼者や第三者が聞いているときには、絶対に「先生」と言わないようにしている。
   
弁護士がお互いに「先生」「先生」と呼び合う背景には、弁護士の特権階級意識が潜んでいるとしか思えないからだ。刑務所では、刑務官が収容者に自分たちのことを「先生」と呼ばせるそうだが、これが滑稽なら、弁護士が事務員に「先生」と呼ばせるのも対して変わらない。
 
自分を「先生」だとする意識が弁護士を市民から遠い存在にしているのであり、この呼び方をやめなければ、いつまでたっても弁護士は市民にとって身近な存在にはなれないだろう。
 
国会議員、医師、そして教師。「先生」と呼ばれる職業がいずれも市民から見放されている現状を重く見る。
 
「たかが呼び方の問題」と言われるかもしれないが、しかし「呼称」は、実は本質を反映しているのである。
 
その良い例が刑事被疑者・被告人の呼び捨てだ。凶悪な犯罪を犯した(と疑われている)者に対して、一般に「アサハラは……」とか「ジョーユーは……」などと呼び捨てにすることが多いが、このような呼び捨てには、明らかに侮蔑とか、憎悪などの感情が含まれている。
 
10数年ぐらい前までは、新聞やテレビなどのニュースでも、逮捕された者は、すべて呼び捨てだった。しかし、多くの冤罪事件の経験から、ようやくマスコミの世界では「○○容疑者」とか。「××被告」などといったマスコミ用語を作り出して、被疑者、被告人の人権に一応配慮するようになった。
 
しかし、司法の世界では、このような一般的な常識も通用しない。依然として被疑者・被告人を呼び捨てにする慣行がまかり通っている。まず検察庁の事務官や裁判所の書記官などの相互の連絡では、被疑者・被告人はすべて呼び捨てだ。「明日のイノウエの公判ですが、証人の出廷予定はどうなっていますか」といった具合に。
 
そればかりでなく、本来被疑者・被告人の立場に立って弁護するはずの弁護士までもが、検事や裁判所との連絡においては被疑者・被告人を呼び捨てにしてしまっている。
 
このような考え方では、被告人を「モノ」として扱っている意識の表れとしか、とても思えない。また、自分が事実を信じて争っている被告人を裁判所の書記官が呼び捨てにした時に、反発を感じない弁護士というのも不思議である。
 
結局、この問題は日の目を見ず、私1人が書記官からの「タナカの件ですが……」という電話に対して「タナカさんの件ですか?」と言い返すというささやかな抵抗を続けざるを得ない状況が続いている(もっともいつも言い返していると、書記官も次第に呼び捨てを改める。何事も抵抗してみるものである)。先日も刑事事件の法廷で、裁判官が「ナカガワ、前に出なさい」と私の被告人を呼び捨てにしたので、私は直ぐに「無罪の推定が働く被告人を呼び捨てにするというのはどういうことですか」と食ってかかった。するとその裁判官は、しぶしぶ「被告人ナカガワ、前に出なさい」と言い直した。笑えない笑い話である。マスコミでさえ、いまでは「ナカガワ被告」と呼ぶというのに……。
 
この裁判官の人権感覚はマスコミ以下だ。この裁判官にとっては、被告人になるような人間はすでに犯罪者なのであり、侮辱の対象なのだろう。最初からそんな裁判官と分かってしまったのでは、まともな裁判など期待できっこない。
 
「呼称」の問題ではこのほかに、弁護士が裁判官や検事に対して、その役職名を付けて媚びたような呼び方をすることがあるのが気になる。弁護士から見ればどの裁判官も同じ裁判官であり、どの検事も同じ検事のはずである。ところが、裁判官に「○○部長」「××上席」と呼びかけたり、検事に「△△次席」などと呼びかけて持ち上げようとする弁護士がいる。他方、法廷で裁判官が弁護士を「先生」と呼ぶのもどうかと思う。
 
司法界も、お互いに「さん」付けで呼び合えるような、正常な関係を取り戻さなければならない。
 
掲載 : 月刊アドバンス大分 1995.12
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所