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おおいた法曹界見聞録(弁護士河野聡の意見)
   「『田舎弁護士』の気概と落とし穴」
 
私は大分で弁護士を開業している『田舎弁護士』である。『田舎弁護士』というと、都会の弁護士との比較での悪口のように聞こえるかもしれないが、私はあえて誇りをもって自分を『田舎弁護士』と呼ぶ。
「田舎弁護士」の気概と落とし穴
『田舎弁護士』を都会の弁護士がどう見ているかというと、泥臭い、柔軟性がない、能力がない、先進性がない、といったところであろうか。大分の法廷にも東京や大阪から大企業のお抱え弁護士が来ることがあるが、明らかに私を見下したような態度をとられることがある。
 
多くの市民も、東京の弁護士の方が、田舎の弁護士より優秀だと思っているのではないだろうか。なかには、普通の事件でわざわざ都会の弁護士に頼みに行く人もいる。『田舎弁護士』自身も自らを卑下することがあり、ある大分の弁護士は、冗談まじりに「大分の一流弁護士は東京の三流弁護士」などとおっしゃったりする。
 
こんな見方が一般的なのだから、これから弁護士になろうとする若い人たちも、できれば東京や大阪で開業したいと考え、大分出身の人でもなかなか大分にとどまろうとしない。そして、いったん東京・大阪で弁護士になってしまうと、東京の考え方に染まり、よほどのことがないと大分に戻って来ない。私の1期先輩の東京の弁護士で大分出身の人が、大分に里帰りした時に、私が「将来、大分に戻らないのですか?」と尋ねたら、その人は「東京は世界の風が感じられるからね」と言っていた。

弁護士の東京・大阪への集中、田舎の弁護士過疎の原因は、実際のところ、こういった『イメージ』の面がいちばん大きなウエイトを占めている。しかし、イメージされているような違いは、本当にあるのだろうか?
 
まず、通常の事件で都会の弁護士と田舎弁護士とで、能力が異なるなどということはまったくない。都会の弁護士の方が若干、事件処理がビジネスライクだという程度の違いだろう。確かに大企業の顧問や国際取引関係を扱う華やかな仕事をしたいと考えたら、東京・大阪でしかできないだろうが、それ以外の仕事は東京・大阪でも、大分でも、まったく同じようにある。むしろ、いま最先端のゴミ問題や外国人労働者問題、多重債務者の問題などは、地方都市の方が深刻である。
 
また、都会の法律事務所は専門分化しているところが多いから、特定の分野の仕事に精通することができる半面、社会で起こるさまざまな事件に出会って自分の領域を広げていく余地は少ない。田舎弁護士は、どうしても町医者のように、いろんな事件をすべて引き受けざるを得ないので忙しくなるけれど、そんな中から次第にライフワークとなるような分野を見つけていく喜びもある。
 
『田舎弁護士』は、都会の弁護士と比べて何の遜色もないのである。そうだとすれば、弁護士が過剰気味と言われている東京や大阪よりも、弁護士過疎の地方都市で弁護士をやる方が人々のためになるのではないか。私が大分で開業した理由もそんなところにあった。
 
実際、大分の弁護士は人権問題によく取り組んでいるが、いかんせん人数が少ないので、最近のように人権問題が複雑多岐にわたるようになると、なかなか手が回らない状態になる。だから、例えば、サラ金から多重債務者を扱う活動などは、県内では私以外にほとんどやる人がいないのが現状だが、それだけに、自分がやらなければ多重債務者は救われないと実感することができ、やり甲斐もある。
 
そして、自分で専門と決めた以上は、その分野は都会の弁護士にも負けない気持ちでノウハウを蓄積し、研究を重ねて『一流』になってやろうと頑張っている。
このように『田舎弁護士』には『田舎弁護士』なりの気概がある。
 
大分県弁護士会が全国に先駆けて当番弁護士制度を発足させ、7割を超える弁護士が登録して、無料報酬に近いかたちで被疑者段階の刑事弁護の充実のために働いているのも、この気概が原動力になっている。
 
ただ『田舎弁護士』には、地域に密着しているがゆえに陥る『落とし穴』もある。
 
まず、都会と違って、狭い社会の中で、濃密な人間関係があるので、相手方に何らかのかたちでつながりがあることも多く、思う存分言いたいことが言えなくなくってしまう可能性がある。特に、県とか警察などの権力を相手にする場合に、それらの職員に知り合いがいたりして、攻撃の手を緩めてしまうのでは、弱者の救済ができなくなってしまう。弁護士の数も少なく、相手方に付いた弁護士がいつも懇意している弁護士ということも多いが、それでも言うべきことを言わないのでは、依頼者はたまったものではないだろう。
 
また、田舎では弁護士が少なく、いろいろ公的な場所に引っ張り出されることも多いので、だんだんと『地域の名士』になってしまい、そういった扱われ方をする中で、徐々に弱者の視点を失いがちになってしまう。公的機関から講演を依頼されたり、行政の委員に選ばれたり、地元企業の顧問になったりする中で、収入も安定すると、どうしても地元の巨悪と戦う意欲が減退していく。
 
さらに、田舎では人権問題に対する理解が不十分で、少数者の人権を守るために闘うことが非常に過激なこととして敬遠されるので、弁護士がそういった事件を受けることを自己制御してしまうことがある。冤罪事件の刑事弁護でさえ、「悪い人の肩を持つ」と見られることがあるくらいだから、例えば性差別、在日外国人などの差別問題に取り組むには、自分自身も差別されるだろうと思うくらいの覚悟と勇気が必要だ。
 
以上の点とは少々角度が違うが『田舎弁護士』は、地域に密着した地道な活動をしていて多忙なため、全国的な動きや世界的な視点に欠けてしまうことも有り得る。真に地域の市民のためになるような活動をしていくためには、常日頃から全国的な情報を修を収集し、おっくうがらずに東京・大阪に出かけて行き、研鑽を積むことが不可欠だ。それを怠れば、都会の弁護士が揶揄をするような単なる『土着弁護士』になってしまうであろう。
 
誇りと気概のある『田舎弁護士』になりたいものだ。
 
掲載 : 月刊おいたん 1998.01
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弁護士法人 おおいた市民総合法律事務所